社会福祉法人 尽誠会

《蔵出し医療談義(2)》

=医療人脈回顧録(続章)=

 私が医学部を志していた時代は、1970年安保闘争の煽りで、全国的に学生運動大流行の最中、現役の医学生達も大学制度&医学部の機構改革を訴えて、各地で紛争が巻き起こり騒々しい世相でした。その時代の象徴的な闘争として語り継がれる東大安田講堂事件の伝説的なリーダー「今井澄」先生の勤務された諏訪中央病院に見学に赴いて、今井先生から直接、重厚な教えを授かった経験がありました。医療に携わる経歴の中においては、『人道(ヒューマニズム) を貫く時に、アウトローとして外道の振る舞いは赦されるけれど、決して非道であってはならない』と。以来アウトローの視線に拘る自覚を以て歩んできたように思います。今をときめくマスコミの寵児ともいえそうな「鎌田實」医師も、当時は諏訪中央病院の一介のスタッフで、今井先生の薫陶を受ける弟子の一人として働いておられました。当時は全国から学生運動の闘士だったドクター達がぞくぞくと集まって来ていた時代で、地域医療改革のあるべき未来を語り合う環境が形成されていたようです。

 長野県の医療環境は、短命県青森のデータと度々比較される場面が多いのですが、決定的な生活環境の違いといえるのは、「厚生連」と呼ばれる農協組織が主導する保健予防活動の成果と評価することができます。農村医療学を唱え、学会を創設した「佐久総合病院」の初代院長「若月俊一」 先生の導きにより、一次&二次予防活動が長野県全域に周知されることで、反体制活動家としての投獄経験の後で、約60年の実績を経て、日本一の長寿桃源郷を創り上げた医療史があります。その活動の歴史を学ぶ目的で、約30数年前に「厚生連佐久総合病院」での研修に赴き、予防医療活動のエッセンスに触れる機会を得ました。その際に知り得た先哲の金言として、自分の座右の銘に挙げる大切な教えがあります。『予防は治療に勝る』という学びでありました。先進的に寒村八千穂村の全村健康管理事業に取り組んで、集団健康診断という全国でも初めての手法を導入することにより、今に語り継がれる伝説の地域医療を実現されたのでした。その挑戦と業績がNHKの「プロジェクト-X」でも紹介されたことがありました。また八戸での保健活動の現場て出会った古参(ベテラン)の年配保健婦(師)さんとの交流の中で、経験豊富な方程、佐久の物語に認識があり、関心を示してくれ、そんな経歴を持つ吾輩と仕事する臨場感に対する共感と感銘の表出に遭遇する度に、我ながら勝手に悦に入っていたものでした。この研修時代に学んだ「保健予防医療」を大切に秘めて、格言として捉えつつ、そこに追随できる実践を目指していけるような啓発(&管理)医療に取り組みたいと思います。

 

 その他の人脈として取り上げておきたいのが、米処新潟県南魚沼の雪深い陸の孤島に在る「ゆきぐに大和病院」における「黒岩卓夫」先生のフィールドで、地域ベッド構想の運営を学んだ経験やら、広島県尾道市御調町に在る「公立みつぎ病院」を中心に展開された「地域包括ケアシステム」の原点を唱えて、現代の介護医療施策に生かされる走りの理念ともなった「山口昇」先生の実践の現場を見学した体験が、強烈な印象として記憶に残っています。

地域包括ケアシステムとは?

出典:平成28年3月 地域包括ケア研究会報告書より

 南部八戸での医療に従事し始めた当初、医師会の重鎮であられる大先輩のドクターと会食できた機会に、自分の来し方をお話しするチャンスがあり、修行途上で出会った学びをお伝えしたところ、絶賛していただいた上に、その体験を是非とも南部(八戸)の医療従事者達にも伝承してほしいという有難い御助言を頂戴した経緯と、年配の超ベテラン保健婦さん達に与えたらしい感銘のいきさつとが励みとなって、今回の御披露目に至った次第です。