≪蔵出し医療談義(16)≫
=認知症専門医の実体験=
認知症の診断を下す手法として、広く普及している方法に 長谷川式簡易知能評価スケール (HDS-R)と呼ばれる診断法を用いるのが、一般的な手順です。被検者の記憶力だけではなく、周囲の状況判断の能力等の見当識の如何を、一連の質問形式での応答の正否によって、点数化することで評価する方法であり、頻繁に臨床の場で使われている数々のオーソドックスな診断法のひとつだといえます。最も頻用されていることによって、被験者の方で学習効果を得ることで、少なからず点数が良くなっていく現象も生じているようです。この診断法を編み出し提唱した発案者だといえる「長谷川和夫」という精神科医が、先日のテレビ放送(NHK)の中で紹介されて、『認知症の第一人者が認知症になった』と題した番組が放映されていました。自らを臨床研究の対象と見立て、行動異常(軽そう?)を公に晒すことにより、認知症の実態と周囲(家族)の支援・対処法を啓蒙しようとの意図を以って、全国放送に供されていました。放送の最後に同僚の研究仲間である高名な医師のコメントが寄せられており、「長谷川先生の認知症研究は自らが認知症に罹ったことにより完結する。」といった含みのある示唆的な発言で、放送が締めくくられていました。
LIFULL介護 様より画像引用
過去(約30年位前)に長谷川先生御本人とは、直接お会いして接触を持った機会がありました。まだ認知症が痴呆症と呼ばれていた時期のことで、とある民間病院グループでの合同研究発表会での席上、討論テーマとして「痴呆症への対応」と題するシンポジウムと、長谷川先生の特別講演会の中で、とても心に響き渡るような有り難い講話を聴かせて戴きました。内容の一節で「痴呆症」は集団でのケアに馴染まず、施設での管理は難しく、家族内でのケアに依存している場合が一般的で、圧倒的多数であると分析されていました。その範疇においては座敷牢みたいな風習もまだ潜在しているみたいだと話され、閉じ込めて幽閉しておくことにより、世間からの視線を遮断してしまおうとする慣習が残っていたようです。
直接お会いできた当時の長谷川先生は、如何にも医者然~学者然とした立振舞で、毅然として話される姿は、矍鑠老人の雰囲気を漂わせてはおられましたが、 TVの画面に登場した長谷川先生の姿は、明らかに表情筋が緩んだイメージで、滑舌も悪く言葉を聴き取り辛い話し振りで、認知症顔貌の印象を醸し出していました。画面に編集されたエピソードの中では、特に行動障害と思われる内容は見当たりませんでした。しかしながら矍鑠とした現役時代の表情も、緩んだ印象に転じており、如何にも認知症然とした顔つきだけが、時の流れを物語っているように思えました。
御本人と同居しながら、直接の介護に当たっていたのは、奥さんと娘(長女)さんでしたが、奥さんにも既に認知障害が入ってる気配が漂う中で、娘さんの対応が際立っていました。長谷川先生自らが世に提唱し、認知症の集団ケアの場面が撮し出されていましたが、その現場に参加して講釈を垂れる姿は、活き活きとしていて、現役に復帰したような矍鑠とした顔つきに転じ、「昔取った杵柄」という台詞 を実感させる姿に変身していました。「呆 け老人」に同化したような奥さんの立振舞とは裏腹に、娘さんの仕種は的確で、認知症ケアのお手本を見せてくれているような演出に構成された番組になっていました。放送の終盤で流された奥さんの奏でるビアノ演奏の場面として、ベートーベン作曲の名曲「悲愴」のメロディは、認知症を顕すBGMと重なる中で、至極の曲想だと思えました。