社会福祉法人 尽誠会

《よもやま世間噺(7)》

=八百長相撲道=

 大相撲秋場所が始まり、本格的な実力派苦労人関取といえそうな新横綱「」の台頭で、再び大相撲に注目が集まっていますが、コロナ禍の煽りを受けて、一部屋(宮城野部屋)まるごと休場扱いを余儀なくされたとで、先場所久々の土俵を務めて優勝杯を勝ち取ったばかりの横綱「白鵬」までが、またまた休場を強いられる憂き目に遭うことと相成りました。コロナ禍下での休場の連載に巻き込まれて、不運の続く大横綱ですが、兼ねてより品格に欠ける立ち振る舞いや、素行の悪さが取り沙汰される中、横綱審議委員会から頻繁に再三再四の注意を受けようとも、執念の粘り腰で横綱の地位に固執し君臨し続けて、幕内の関取連中の大半を占めるモンゴル勢の総帥を気取って、同胞の土俵上での活躍を後押しするが如く支えているのです。あたかも現代(平成&令和)に襲い来る「蒙古襲来」を彷彿とさせるようなモンゴル力士軍団の躍動といえますね。

 

照ノ富士(出典:伊勢ケ濱部屋

 

 新横綱として再起の復活土俵に賭ける「照ノ富士」というと、語るも涙泪の復活劇がマスコミの話題を攫っており、いったんは大関の地位に就いたものの、不運にも怪我に見舞われて、陥落の憂き目に遭い、十両を通り越して幕下はおろか序の口(二段目)まで落ち込んだ後、古傷の癒えた後は再起を賭けて一念発起して、あれよあれよという間にトントン拍子の勢いで再昇格を果たし、大関に復帰した後は、僅か数場所で駆け抜けて横綱にまで昇り詰め、大喝采を浴びるに至りました。「浪花節」好きな日本人の琴線に触れるような離れ業をやってのけたのでしょうね。モンゴル郷土の英雄である「成吉思汗」をも凌ぐような超快進撃を果たして、「JAPatNESE  DREAM」の花を咲かせた満願の出世物語を演じてみせました。今や幕内力士の大半を占拠し、とかく素行不良の話題が絶えないモンゴル軍団の力士にあっては、過去にも悪名高き名うての悪童横綱゙「朝青龍」を筆頭に、憎たらしいまでの悪行の数々を繰り返し続け、蒙古八百長互助会を為す共同体の存在すら噂されたことがありました。勝ち星を廻(融通)し合って帳尻を合わせ、関取以上の番付(給与支給)確保に協力し合う共同体擬きを形作っているらしいのでした。

 

朝青龍(出典:日本相撲協会

 

 傍や不甲斐ない日本人力士はというと、先日大関に昇進したばかりの本格派有望株の「朝乃山」が、コロナ禍最中の本場所前にキャバクラ出入りが発覚して報道され、本場所への出場停止処分を受けて、いったんは引退届を出すも、理事長預かりに留保され、大関の地位剥奪の処分には至りませんでしたが、一年間の出場停止処分により、十両はおろか巻下~序の口までの一気の陥落が必至の情況に曝されています。この場合にも復活巻き返しが出来るか否か、将来の有力横綱候補と期待された逸材の実力派力士だと目されていただけに、「照ノ富士」並の快挙を再現してくれるか否かと期待したいものですね。相撲通(スポーツ・オタク)を自称する小生が、もう一人の気になる関取として取り上げておきたいのが、4度目のカド番場所に臨む大関「貴景勝」の存在です。生粋の芦屋生まれの「お坊ちゃま」 然とした風貌が、人気を博す素かと思われますが、それ以上に歯切れのいい外連味のない豪快な取り口こそが、玄人受けする要因になっているようです。日本人人気力士の不運の連鎖(稀勢の里引退後)に、生粋の相撲ファンならずとも、愕然として盛り下がってしまっているところなのですが、スポーツおたくを自称する自分としても、今や大注目の人気力士であり、見所満載の外連味の無い取り口に魅せられて、テレビ桟敷に釘付けに齧り付かれてしまって、観戦と応援を続けているところなのです。芦屋のお坊ちゃま育ちの関取が、俄に注目を浴びるようになった背景には、元師匠である大横綱「貴乃花」の理事追放と角界引退に続き、貴乃花部屋解散という不遇の環境の中で、部屋の移譲騒ぎにもかかわらず、一躍実力を花咲かせて、次世代の日本人の横綱候補の最注目株として、一身に期待を集めるようになったという経緯があるようです。

 

朝乃山(出典:日本相撲協会

 

 相撲界においてはかねてより、八百長相撲の横行という根深い問題が潜行していました。その世界に足を踏み込んで、追放されてしまった幾多の有名力士が居ましたが、貴景勝の場合は貴乃花部屋の伝統を守って、「ガチンコ相撲」の真剣勝負で、八百長の入り込む余地のない取り組みを貫き通しています。かっての八百長横行時代には、八百長を受け容れる意思をもった者同士(「注射力士」と称す)による暗黙の集団の間で、勝ち星を融通し廻し合う調整に当たる役回り(「中盆」と称する)の力士が暗躍し、本場所間を跨いで貸し借り無く帳尻合わせをしているようです。曽ての国民栄誉賞授賞の大横綱もそんな注射力士の仲間で、中心的な元締めの立場にあったらしいと、週刊誌ダネになったことがありましたが、その際の言い分として語られたのが、『ガチンコ相撲(真剣勝負)で怪我をして短命に終わらない為の処世術であって、決して優勝を買う為に、注射(八百長)相撲に手を染めた訳じゃない』という自らを正当化するような大義名分の台詞でした。

 

貴景勝(出典:日本相撲協会

 

 また角界(相撲界)で「無気力相撲」と呼ばれる八百長紛いの取り組みには、負傷(故障)して弱点を抱える取組相手に対して、敢えて弱味(負傷箇所)を攻めないとか、負けが嵩んで番付の陥落が差し迫った取り組み相手に同情して、故意に力を抜くような行為の見える相撲を称して、「人情相撲」と呼ぶことで、半ば理解を示して、称賛の思い入れを表す用語も使われているようです。スポーツマンシップの顕れと捉える感性すら、日本人の文化とする国技としての格闘技には、神事と見做す崇高さに加え、芸能の側面を併せ持つような懐の深さも含まれているようです。