社会福祉法人 尽誠会

《 蔵出し医療談義(11)》

=心遺りの医療(1)=

   「末期の酒精水」

 

 アルコール依存症が昂じると、様々な生活障害や人格障害の発生のみならず、全身臓器の不調の蓄積のために、身体の内部障害が極まり、果ては癌の発生に繋がる場合があります。程良く嗜めば「百薬の長」で留まり、「薬物(くすり)」としての効用を見込める妙薬となれるような「命の水」を期待できるのですが、いったん依存性がついて中毒状態に陥ってしまうと、日常的に酩酊状態が染み付き、精神の安定という効用と引き換えに、退廃的となる怠惰な習性を受け容れ、魑魅魍魎とした場面の妄想(アルコール性譫妄)が付き纏っていく落とし穴に嵌ってしまうのでしょう。果てはアルコール代謝を司る肝臓の酸化と硬化を招いた挙げ句、癌細胞を産み出す過程に進んでしまうのです。

 アルコール中毒の成り立ちにも、急性アル中の発症の激しい病状とは裏腹に、じっとり~まったりと真面目に吞兵衛を気取ってる間に、寝ても覚めてもアルコール浸りの状態が身に染み付いて、昼間からのべつ幕なしにアルコール漬けになることで、慢性アルコール中毒の病状に陥るパターンがあります。肝細胞の線維化による硬化が進み、炒めたレバーの如く変性をきたすことから、細胞の遺伝子の変異に至り、癌細胞が芽生えてくるのです。それは肝炎ウイルスの感染に起因するものばかりではなく、アルコール漬けの結果としても類似の肝硬変の病態に陥り、肝細胞癌を併発することにより、不幸な転帰を辿ってしまう患者さんは後を絶たないのです。

 

 

 それは今から遡っておおよそ20数年位前のことで、八戸の地に草鞋を脱いでまもなくの時期に遭遇したケースでした。アルコール絡みで終末期の転帰を辿った症例として、記憶に残る心遺りのケースを取り上げてみます。それは50歳台の恰幅のいい刺青を背負った男性患者さんで、地域中核病院の機能を果たすべき高次機能病院から紹介されて、療養型の前任地の病院に入院することになったのでした。いかにもアルコール焼けした浅黒い肌の太鼓腹を抱えた出で立ちを誇示するような、任侠ドラマの主役とて張れそうな風貌の苦み走った顔立ちのダンディズムを併せもったチョイ悪助平親爺の風情を醸し出す中年男でした。威喝い顔つきの割りにユーモラスな受け応えの物言いが、看護・介護に携わる女性職員達の受けも良く、入院後いち早く人気者の患者さんの座を占めるようになっていました。女性陣のお尻に素早くスマートにお触りできるような猥褻かつ不埒な行ない(今ならセクハラ行為として兇弾)とて、愛嬌を振り撒きながらサラリと何気なくやってのける早業を披露する姿には、悪意なく罪なく冗談で済まされることが多くて、憎めない患者さんとして羨ましく受容されていたようでした。ポンポコリンにせり出した太鼓腹の中には、大量の腹水が満タンに充満して、ユーモラスなポンポコ狸を彷彿とさせ、さながら信楽焼きの狸人形風情の愛嬌を振り撒きながらも、徳利瓶がお似合いのミテクレを売りにした存在感を発揮していました。張り出したお腹の中には、腹水に埋もれて胎児よりも巨大な肝臓のできもの(癌)を抱えており、手術も何もあらゆる治療法が全く手の届かなかった未治療の癌として、半ば前医(高次機能病院)から投げ槍に放り出される形となり。当方へと転院になった経緯があったのでし た。パンパンに張り出したお腹を苦しがる訴えがあった時に、一度だけ腹に注射針を刺して腹水を抜いてあげたことがありましたが、一挙に2,000㏄以上もの血液混じりの腹水を抜き出しても、腹囲の変化は殆ど無く不可抗力で、腹の皮の表面に僅かに皺が寄った程度の効果に留まりました。即ち肝臓の癌細胞が崩れて腹腔内に浮遊する状態にまで拡がった「汎発性の癌性腹膜炎」を呈しており、重篤な末期状態で、癌そのものと闘う治療方法としては、既に何も手の施しようがなく、身体の辛さを少しでも和らげるだけの総合的緩和療法のあれこれ(身体的・精神的・環境的・心理的・霊的苦痛)を試行錯誤で工夫するくらいの手立てしか、成す術はなかったのです。肝不全に併存必発の食道静脈瘤は、モコモコとした血管の瘤を形成しており、いつ何時吐血の合併症を来しても不思議ではない緊迫状態でしたし、仮に吐血が発生すれば、即座に一巻の終わりとして、幕を引く引導を渡さざるを得ない事態にまで極まっていました。アルコール性肝硬変がベースとなって合併・発症した肝臓癌ではあったとしても、もう少し早い段階の進行度だったなら、様々打つ手はあった筈なのですが、それも既に全くの手遅れでした。一般的な治療法としては手術による腫瘍の切除を始めとして、癌に栄養を供給する支配血管内に抗癌剤をか注入する局所動注療法、或いは支配栄養血管の血流を塞いで兵糧攻めにしてしまう塞栓療法や 、加えてラジオ波の局所照射による焼灼療法、さらにアルコールそのものの局所注射によるアルコール漬け等々、様々なアイデアを駆使して治療成績を集めつつ、集学的な合わせ技でアプローチしていたものでした。今回のケースではいずれの方法も手の届かぬ全くの終末期というべき進行度であり、肝予備能の低さが故に予後が難しく、なまじ癌そのものとの闘いを挑むと、肝不全を誘発してしまい、元も子もなくす危険性が差し迫った病状といえる末期癌でした。自他共に認めるような「酒豪」を自負するが故に、その結果としての転帰に関しては、自己責任とする覚悟の下、潔く冥土への旅路に就くお迎えを受け容れて、往生際の美学を誇示せんばかりの立振舞を見せつけてくれていました。観念して命を惜しまず、達観した上での冥土の土産として、死に際の飲酒を求める願望を漏らしては、ナーシング・ ケア・スタッフを困らせていたようで、と同時に同情も集めて、「呑ませてあげればいいのに」と、 漏れ伝わってきてた後日談がありました。遂に飲酒願望も叶わぬままに、 いよいよ 臨終の刻を迎え、臨終を宣告して引導を渡した後の乾いた口唇に、メチルアルコールならぬエチルアルコールの酒精綿から、アルコール液を絞り出して垂らし、唇を湿らせてあげたのが、せめてもの悔悟の気持ちを込め、「末期の水(酒精水)」となった心遺りの嗜虐医療談となりました。