《蔵出し医療談義(10)》
=送り人稼業哀歌 =
近年、我が輩の居住していた地方都市では、葬儀屋関連業者が経営するセレモニーホールの建物がニョキニョキと急速に増えて、頻繁に眼に入るようになってきました。必ずしもコロナ禍に由来する現象ばかりにあらず、純然たる立場で機能する「送り人稼業」というべき存在ではありますが、それに先んじて臨終の床での「看取り」をし、厳かに引導を渡して後、「三途の川」渡河へと送り出す役目を担う我々医療人とて、一連の葬送の儀式の流れの中にあっては、極めて重要なる位置を占めるべき「送り人」だといえるのでしょう。
ましてや臨終の場面に至る前段階においては、死に直面した患者さんの不安に寄り添い、嘆きの訴えにも傾聴するだけでなく、逝く道への覚悟を諭しながら、佳く生きたかを検証することで、「幸せに逝く」途に導く導師の役割をも演じる坊さんの立場に立って、越権行為も辞せす、阿弥陀仏の世界に極楽往生できるように、安らかな成仏を念じ、合掌して祈ります。畏みてお祓いする神職の筆頭たる神主の厄除け仕様の立場とも異なり、お寺の坊さんの役割だけではなく、懺悔の台詞の聴き役となって、贖罪の法を説く場面に臨むことも必然的な役回りとなって、「NARRATIVE TERAPY」を施すことができます。或る時には神父(?)or牧師(?)の肩代わりとして、神の元へ導く洗礼の祈りを捧げることも有り得ます。
臨終の床に就いた患者さんの魂は、肉体から離脱する間際でも「SPIRITUAL- PAIN(スピリッチュアル ベイン)」と称される霊的苦痛に見舞われます。肉体的苦痛や精神的苦痛・社会的苦痛等と併せて緩和を図るような総合的緩和医療を施すべき立場に従事する臨床の現場において、患者本人のみならず、それを取り巻く家族や友人、さらに医療従事者を含めた精神的ケアや闘病環境造りが必要になります。そんな情況に包まれる中で、自らも逝く間際の患者さんに寄り添いながら、臨死に漂う雰囲気に呑み込まれ、引き擦りずり込まれてしまう体験に遭遇します。立場を超えて全く同化してしまう感覚に陥り、一緒にお迎えを待つモードを共有する感性に相成り易いようです。
さらに医療や介護の経過が難儀すればする程、看取りの後のアフターケアの在り方が大切になってくるようです。戦友感覚に昇華した介護家族や友人に遺る悲哀と苦悩の残り火を癒すための手法として、一般的には「GRIEF CARE」と称される様々な後療法の作法の実践も必要になります。仏前で線香の匂いに包まれつつ、故人の生前の想い出や介護の労苦を忍び語り合うことで、燃え遺る燃え滓を共有する最期の惜別の段取りを施すことが、「送り人稼業」の本懐を極める締めくくりの哀歌となるのでしょう。