社会福祉法人 尽誠会

≪蔵出し医療談義(9)》

=救命救急医療異聞=

 医療に従事する者にとっては、医療分野の専門分化し過ぎ続ける様相がけたたましく、知識・技術の偏った片輪の専門医師も、並行して増え続けています。そんな臨床に役立たずの医者が溢れかえっているという負の現象が潜在していることは、実に嘆かわしく悩ましい限りです。しかしながら必要とされる領域やら、地域にとっての人材不足や偏在が喫緊の課題として叫ばれ続けている現状には変わりありません。近年では総合診療医(GP:General Physician)の必要性が、満を持して見直され、新卒ドクターの研修制度においても、それに即したトレーニングを積むカリキュラムが推奨される御時世にあって、医師免許を取得してからの初期の臨床研修の中でも、最初に手掛け易い傾向にあるのが、救命救急センター勤務に従事する研修プログラムを組み込むことなのです。手っ取り早く基本的な医療の技術及び知識(知恵)の「いろは」を修得しようと志す全般的な鍛錬コースになるからだと思われます。まさに生命予後の逼迫しそうな情況にあって、「医の心」を学ぶ修行を重ねる体験を積むことこそが、一般臨床(機能分化後)に従事する際の基本的な素養をコンパクトに経験することができるからだと思われます。

 俗に救命救急センターでの勤務は特に過酷な激務と見做され、医師の働き方改革を促す世論の渦中にあって、もっと緩やかな勤務態勢が求められるところではありますが、昨今流行って話題の新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の感染拡大が進む世相にあっては、働き方改革に言及するどころか、むしろ働き甲斐(使命感)を鼓舞するような世間一般からの感謝や激励(YELL)とが寄せられ、「働き甲斐改革」を唱える職域の管理者の煽動の台詞に煽られて、崇高な犠牲的博愛精神を発揮することにより、身を粉にする働き蜂に徹する価値観の下、感染リスクの可能性への恐怖心とを天秤に掛けてしまう潔さに、猪突猛進してしまいがちな感覚の鈍麻に陥っていくようです。

 

 このような24時間連続の365日勤務態勢の業務においては、一般的にコメディカル(看護師&検査・放射線技師&介護士等)の勤務形態のように、交代勤務制(二交代or三交代)が、普通のシステムではあるのですが、医師の場合はなかなか理屈通りの交代勤務を組むだけの絶対数を確保できず、現状で医師免許を有する者のうちで、標準的な医師の素養と見なせる能力を発揮できる面子はごく僅かであり、専門分化の行き過ぎの弊害として、総合診療的な機能を全うできる戦力の不足は解消できてないのが現実であります。さらに医師の場合は、患者さんそれぞれの担当主治医として割り当てられるため、24時間拘束されている関係上、何か変化があれば呼び出し連絡を喰らう可能性が付き纏い、休暇といえども、完全なフリータイムとは成り得ない宿命を背負っているのです。学会出張等で現地を離れられる時間でない限りは、すっかりリラックスするという訳にはいかないのです。こんな風にがんじがらめに縛り付けられた拘束感に耐え得る土壌となるのは、医師の世界に旧態依然として残る遺物であるスーパースペシャリスト志向の修行に絡む先輩・後輩間の徒弟関係であり、問答無用の服従意識に馴らされているからなのだと思われます。超過剰なまでの専門分化の曉には、適材適所の医師不足と配置の偏在の実態は自明の理とならざるを得ず、合理的な交代勤務体制を組むこと自体が、到底困難な実状だというべきでしょう。

 ましてや医者という人種たるや世間的にも常識外れな人格の輩が多いようで、至極スタンダードな人材は非常に少ない(2~3割に留まる)かなという私的偏見を持っています。我が輩を含めて、世の「医者」と名乗る輩たる存在は、大方のところが「奇人」・「変人」・「怪人」・「狂人」・「猛人」・「愚人」の類のいずれかに色分けされるものとの見解(異聞)を持っています。なればこそ驚愕の並外れた奉仕の志が培われ保たれることにより、非常識極まりないレベルの「働き甲斐改革」の偉業を成し遂げ得るのだと思われます。