社会福祉法人 尽誠会

《よもやま世間噺(3)》

=自虐のお惚け点描②=

認知症介護の現場て厄介な症状として困り事に取り上げられ易い事象となるのが、「おむつ弄り」や「汚物玩び」の行為と言えそうです。が、その背景に潜む動機付けに然るべき考察を加える必要がありそうです。というのも男性機能が減退するにつれて、湧き出てきたのが、燃えかすの如く燃え残る過剰性欲に苛まれる現象で、できる筈のない性行為への渇望に縛られ続けて、下着に手を入れては自慰行為に耽るようになってしまう現象でした。こんな悶々とする経験に沈み込むと、世間一般に認知症の周辺症状(BPSD)と見做されているようなおむつ弄りや汚物触り等の介護者泣かせの困った行動に偏向し、それも実は恍惚老人なりに理由のある目的を持った行為ではないかと解釈できるように進化を遂げたのです。かつて一世を風靡し、週刊誌を賑わせたたことのある話題となった「紀州のドンファン」を模した「ドンファン願望」に執着して、妄想するが如く美女漁りの暁に、2000万円老後余生資金の蓄財論議をものともせず、美魔女に貢ぎ果たす行為とて、また浪費症状と見なせるBPSDのひとつと捉えるべき要介護対象になるのではないかと分析できるでしょう。

周辺症状(BSPT)とは

医療法人社団 緑会 佐藤病院 様より引用

 

こんなお呆け好爺々の端くれに堕してしまうと、例え三途の川からのお迎えが来ようとも、恥ずかしながら一連の葬送の儀式等は、到底望むべくもなく辞退せざるを得ず、ひっそりと骨も遺さず隠遁してしまう手法を妄想するようになるのです。せめてもの感謝を知人に表す「生前葬」を営んで後、富士の樹海を彷徨い歩いて行き倒れ、いつしか鳥や獣に身を啄まれて迷宮に堕ちる「樹海迷宮入り」も佳し。或は恥多き「下衆の極み愚人」の烏賊様人生を完結するのに骨すらも遺さず、熊野灘の海に身を沈めて終う途行「 GO TO HEAVEN」を求め、 約束の極楽浄土の地と憧れる「補陀洛」を目指す即身成仏によって、魚に身を啄んでもらいながら消え逝く「補陀洛渡海」と称する往生(昇天)の仕方も、棄て難い成仏の手段として、見果てぬ妄想が果てなく拡がるのです。年老いてからの終の棲み処で、人生の終い方を冥想する刻には、何物にも代え難い至高のエクスタシーを愉しめる時間を演出してくれます。見果てぬ夢の彼岸には、親鸞大聖人が解脱の道程で追い求めたと云われる女犯・愛欲の煩悩を模倣しながら、絶世の美魔女の添い寝の下で、天女様のセクシャル介護を渇望する艶(エロ)惚け妄想があり、さらにそれを超えるような究極のエクスタシーをもたらしてくれる幻想に至っては、もはや到底望むべくもなく、限りある余命の中で未来永劫に続くような煩悩の赴くままに、浪費行為を繰り返しながら、見果てぬ冥想に身を任せ続けることになるのでしょう。