社会福祉法人 尽誠会

《駆出し介護医療(1)》

=介護崩壊&介護難民漂流=

 介護保険制度が始まって以来20年程が経過して、一見して制度の認知度が高まったかに思え、成熟の足取りと共に、俄に現代社会に定着してきたかのように見える反面、介護保険によって高齢・障害者を社会で支えようとする制度設計の理念の反作用とも思えるような、家族崩壊(家族関係の希薄化)の社会現象を生んだ負の側面すら抱えつつあるようです。恨みの残る結果に繋がったかに見える元凶となったのは、膨らみ過ぎた医療費削減を主な目的とした医療経済立てし策が先行してしまい、社会保障制度アレンジの範疇で勘案された経緯に起因するようですね。関係者の共通認識と思われるこの社会現象の端緒となったのは、介護保険創設前の準備段階の時期において、「医の心」の原点ともいうべき『福祉の心』を倣って、互いに自然と寄り添い助け合おうとしていた医療業界と福祉業界の良心が融合する流れの必然性が、財源を分けて担当官公庁の事務方が分離したことにより現場の業務手順までが解離して、縦割り行政のお決まりの歪みに嵌まってしまい、両者の連携という無味乾燥な美辞麗句に置き換えられてしまったからだといえます。自然な形で寄り添いながら、協働・分担し合おうとすることで、薔薇色に彩られる筈だった社会現象が、「粗診粗療」の落とし穴に嵌まり、畏まっての連携会議だとか、カンファレンスだのと、羽織袴を着せられて、歪みきった堅苦しい話し合いのプロセスを踏まねば、機能することができなくなる程、形骸化してしまったのでした。加算という餌に食らいつき吊られることで、算術を追い求め、操られるような世知辛さが加わってきた訳です。人道とかヒューマニズムとかの美意識を追究する医療・介護に従事するスタッフ誰しも抱く浪漫(roman)&魂(spirit)は、見事に形骸化してしまったのでした。

介護保険で受けられるサービス(LIFULL介護 様より引用)

 

ましてや病院の後方ベッドとしての機能を担うべく制度化された有料老人ホーム等の介護施設の類に至っては、手薄な介護保険の財源をひたすら「ボッタクル」ような外付け出来高算定の介護医療機能を付加することで、必要以上に貪り取るような浪費を繰り返す過程が蔓延ってしまいました。

さらに拍車をかけそうなのが、「福祉の心」に疎いであろう建設業界や不動産業界の経営者達が、続々と介護施設の運営に参入してきている現状の中、ニョキニョキとハード面での箱物が建つ現象が、顕著に目立つ御時世になったことです。そこのソフト面を支える介護スタッフの人材不足が慢性化しているのです。

暫く医療現場を離れた後に、医療技術の再開に不安を抱える看護&介護経験者やら、加齢によって一旦退役したばかりの老スタッフ及び過酷な介護現場への復帰を躊躇う弱腰スタッフ等々の面子を札束で掻き集めて、資格保有者の数合わせで施設基準を満たしただけの寄せ集めの布陣で、経営算術主導の運営を遣り繰りする自転車操業に徹する施設が目立ち過ぎるようになったのです。タケノコがニョキニョキと生えてくるが如くに、加速度的に立ち上がった看板倒れの介護施設の参入が何と多いことでしょうかね。複数の疾病を抱えて、当然の如く虚弱化した高齢・障害者に至っては、さらに障害を重ねることによって、施設の機能を逸脱してしまい、転居・転所を繰り返すことを余儀なくされる情況に陥ってしまう顛末となるのです。いよいよ到底「終の棲家」とは言い難くなった挙句、現施設から他施設へと、漂流し続けざるを得なくなる「介護難民」と化してしまって、そうした難民が溢れ出る社会に成り果てたのです。さらに現状で問題化しているかに見えるのが、新規参入してきた住宅型有料老人ホームの中に、経営が行き詰まり、倒産の憂き目に追い込まれる施設が続出している社会現象です。比較的容易に設立可能な施設である代わり、介護報酬を賄う行政の財源が追いつかず、無償の介護を強いられてしまう施設に堕し、加重な人件費負担で経営破綻に陥るケースが後を絶たないようなのです。

要介護度別認定者数の推移(みんなの介護 様より引用)

 

画期的かつ薔薇色の社会創生を夢見ていた筈の介護保険制度の残照として。  倒産した施設からの退去を迫られた挙句、難民として介護施設を漂流せざるを得なくなる現象が横行しているのです。こうした施設の経営者達は、「右手に浪漫と左手に算盤、背中に我慢」を強いられて、そのバランス感覚を全うできぬまま、苦悩の日々に埋没しているのです。 さらにこの御時世にあっては、コロナ禍の副作用の中で、介護スタッフの休職や離職が相次ぐ介護力不足が介護崩壊に拍車を駆けているような世相が迫ってきているようなのです。