《蔵出し医療談義(14)》
=未知のウィルスとの遭遇=
新型コロナウィルス感染 症(COVID-19)との闘いは、さらなる感染拡大傾向に歯止めが掛からぬまま、日本ならずとも世界中で「パンデミック」に陥る事態の中、凄惨な情況を極めており、連日のマスコミ報道で、オリ・パラ報道と並行して、話題を席巻していることに、いい加減辟易しているところではあります。変異株(デルタ株)の脅威は、集団免疫の獲得をも凌駕して、ワクチンの有効性にすら疑問を投げ掛けています。
過去の致死的ウィルス感染症蔓延による惨状(通称スペイン風邪と呼ばれるインフルエンザ)では、約100年程前の第一次世界大戦当時の戦禍の中にあった1918年の春3月のこと、当然の如く当時の事は殆ど記憶も臨場感もありませんでした。世界中での感染者が5000万人以上に及ぶ中で、当時大第一次世界大戦における戦死者の数をも上回り、日本の中で45万人もの死亡者を出したとも伝えられています。世界史的にもペストや天然痘等の感染症により、パンデミックと呼ばれる世界的大流行を経験しましたが、日本語でも「疫病」と称する大流行の場合、近代史においてはウィルス感染ではないにしても、江戸時代末期に襲い来た「コレラ(コロリと通称)」や、明治~大正時代にかけて、じわりじわりと蔓延し続けた「結核(ロウガイとの呼称)」に襲われた数々の虚弱な若者達や著明な文化人等が罹りがちな「不治の病」として、栄養不良の若年層を多く冒すことが特徴だったようです。予防接種(BCG)やSM&INH&RFP等の治療薬が開発されるに至り、いったん克服されたかに見えてましたが、現在に至っても極く一部で散発的に不衛生な環境で発生しているようですね。不衛生な環境程湿っぽく、密かに潜在していることが多いのです。この場合の対策では、保健所の介入による環境衛生と栄養強化策に加えて、治療薬の開発や・投与が功を奏したしだものと思われます。
感染拡大予防対策の決め手となるのが、基本的な手法として。旧来から語られる「三密回避」と「人流抑制」を図り「SOCIAL DISTANCE」を徹底した上で、「ワクチン接種促進」による「集団免疫獲得」を一刻も早くセッティングできることが肝要で、生活圏域を越えた人々の移動の流れ(人流)によって、急速に伝播していくものである以上、交通網の発達した現代社会にあっては、まず人の移動を抑え込むことこそが、感染拡大の予防を図るのに先決だといえるでしょう。治療薬もあれこれ試されながら、既にワクチン開発が完成した今般で、為すべきはありとあらゆる人達に行き渡らせる施策の遂行が重要です。
過去の歴史の中では、神仏の宗教に頼ったり、拝み屋の祈祷やお呪い等の精神性の強化を予防・治療の手段とするしかなかった時代でもありました。現代でも通用しそうな衛生対策は、歴史的にも実践されてはいたようですが、今様の理屈で対処するワクチン開発済みの現状でも、全世代に行き渡って集団免疫を獲得できるまでには、もう暫く時間を要しそうですね。その前に実践すべき予防策としては、基本的な「衛生維持」「人流抑制」「三密回避」を守る原則であることは言うまでもありません。
文明・科学の未発達な時代や社会にあっては、語るも悲惨な対応となる闘いを強いられたようで、場合によっては集落諸とも奇襲的に焼き払って抹殺してしまうという強硬手段が講じられることもありました。近代のエピソードとしても、致死率の高い「エボラ出血熱」発生の際には、アフリカの某国でそうした悲惨極まりない対処法が謀られた地域もあったようです。
今回の新型コロナ・ウィルスの発生源とされる中国湖北省武漢市の海鮮市場で、売買されていた希少食用動物由来のウィルス蔓延の結果は、遡ってみればそこそこの感染者数や死亡者数に抑え込むことができ、終息に向かっているやにみえますが、武漢のウィルス研究所からの持ち出し流出が原因だとする噂も、米中の責任押し付け合い論争の中で囁かれてはいます。基本的には何もかもと品種も構わずに、食用に供する中華食習慣の綻びのなせる顛末だといえそうで、自然界の奥深く潜んでいた未知のウィルスとの遭遇が成せる異変に他ならぬのでしょうね。その後4月以降の世界的なパンデミックたるや、感染元の中国の惨状の比でない凄まじい感染拡大を呈し、むしろ欧米諸国の医療事情の問題点が浮き彫りになってきて、揶揄される対象になる有様と化しています。
いづれの国も医療技術は十分に備わっている先進国ではあるのですが、医療費抑制策を打ち出して、医療施設を縮小・削減途上にあったタイミングに合致してしまった歪みに遭遇した事情があったようです。先進国イタリアの医療崩壊という破綻の現実が、先行して語られ始めた裏側に、大国アメリカやブラジル・インド等の貧困層(スラム街)への蔓延と併せて、特にアメリカの場合は医療保険を排除するお国柄の中、富裕層しか十分な医療を受けられない格差社会や人種差別がもたらすアメリカの社会の歪みが露呈した形で、経済大国を謳歌する合衆国アメリカが、世界一の感染者数と死亡者数を呈する事態に陥ってしまったのでした。
文明国なるが故の人類の社会生活の破綻は、先進国として未知の領域に開発を進め過ぎた結末というべき成り行きで、奥深い森林や高山等の未開の地、さらに超深海等に潜み続けていた未知なる微生物やウィルスとの遭遇(接触)によって、その物体に対する抵抗力(免疫力)のできぬままに、共生することもできず、一方的に人類の生身の身体に寄宿することで攻撃されてしまい、初めての闘いに太刀打ちできぬうちに、儚くも敗れ去ってしまうという現象が、現実の世界に展開されているのだということなのです。過去の世界においては「風土病」と称された地域性をもつ特有の奇病等が、各地に散見される伝承話の伝わる時代がありました。致死率はれぞれ異なりますが、共生するには至らぬまま、人類を苦しめ続けているのです。知恵を持った人類の奢りが生んだ悲惨な負の遺産というべき歴史といえるでしょう。人類の精神構造が変わらぬ限り、これからも繰り返されることは必定でしょう。
果たして以前の波にも増して急速に感染拡大が進む我が日本はというと、官製の感染拡大予防策に些かの立ち遅れと、ワクチン接種法の優先順位の考え方に、判断の誤りがあったのではないかと指摘しておきたいと思います。今最も感染拡大を誘発する要素となってしまっている若者向けの予防接種優先度が後回しになっている現状には、もう一考が必要だったかに思います。重症化し易い高齢・障害弱者や感染のリスクに晒され易い医療介護業務従事者を最優先するのは納得できる判断ですが、その後に基礎疾患持ちのグループも良しとして、さらに一般人へとなった段階で、深慮が必要だったかなと思われますね。感染拡大を抑える決定打となるのが、人の流れを抑え込む方法である以上、ロックダウン等という最強硬の最終手段に至らぬまでも、「人流」を喚起することに至極無頓着かつ能天気な若年層(15歳前後~50歳末満の年齢層)にターゲットを絞って、「義務化」した予防接種態勢が望まれます。比較的社会的な分別を持ち合せているであろう中年層については、後回しでも良かったのではなかろうかと勘案するものです。年齢階層順に接種順を降ろしてきた施策に物申したい。併せて優先度を付け足したいポピュレーションとして取り上げたいのが、接待を伴う飲食業界の従業員であるホスト&ホステス等のグループだって、感染源もしく感染媒介者として要注意の対象に取りげておくべきでしょうね。医療大国「日本」が他人任せのワクチン確保に奔走するばかりで、先進国として独自の開発予算も計上しなかった奥手としか評しようのない日本政府の失政を指摘しない訳にはいかないでしょう。オリ・パラへの歓声の痕には、天国の柔床に臥してハイハイ這いずり競争の中で、先を競い合う「GO TO HEAVEN」キャンペーンに興じてるかもしれませんね。