社会福祉法人 尽誠会

《蔵出し医療談義(12)》

=心遺りの医療(2)=

 「対馬の殿様漫遊記」

 

 今は昔(約40年位前)の朝鮮海峡の離島である対馬の町役場所在地に、殿様然とした出で立ちで街中を闊歩する愉快な御仁が話題を集めていました。年格好にして当時60歳過ぎ頃合の初老期。 正義の味方鞍馬天狗張りの頭巾を被り、左腰には長短二本の脇差し(竹光)を差し、葵の御紋を刻した黄門様紛いの印籠を吊るした上、右腰には瓢箪造りの狸徳利を吊す出で立ちに扮して、小生の勤務する土地の町立病院の廊下を闊歩する姿がありました。時に病室の入院患者さんの枕元を訪ねては、御見舞いがてらの御挨拶を兼ねた仁義を切って、剽軽な立ち振る舞いで人気を博していました。実は精神科通院中の患者さんで、当時の「精神分裂病」(今様なら「統合失調症」に改名)に「アルコール依存症」を併せ持った病状の酒好漢でした。出自たるや歴代の対馬の王家(宗氏)の血筋の末裔という訳ではなく、代々の漁師の家の生まれ育ちで、名うてのカジキ鮪の「つきんぼう漁」の名人として馴らした経歴をもつ、土地の有名人だったようです。白衣姿の吾輩に出逢った際、御挨拶としての仁義に応えて。こちらも調子を合わせ、自分の素性を明かすお返しの仁義を切ってみたところ、即座に意気投合できて、気に入られたみたいで、以来病院に現れる度に声掛けされるような関係を築くことができました。御本人の希望により主治医としての立場に相成り、精神科処方も任された中て、全身スクリーニング検査を施すことになり、「アルコール性肝硬変症」の潜在が判明したのでした。となると主治医として当然の生活指導や生活環境管理・調整の役回りが加わってきます。

 肝硬変症の程度評価で、肝予備能の低さを認識すると、当然断酒を強いる羽目になり、難しいアプローチを迫られました。すると彼の反応はというと、特段抵抗を示す訳でもなく、いったんは神妙に耳を傾けて、禁酒を励行しようと受け容れてはくれました。ところが相手は一枚上手だったようで、聴いた振りしてるただけの二枚舌で空振りを繰り返して、一向に肝機能の改善は得られまんでした。肝硬変に合併しがちな肝細胞癌こそ認められなかったものの、腹水の貯留は顕著で恰幅の良い体型は、羽織・袴が似合いのファッションといえました。また肝硬変にありがちな食道静脈瘤も当たり前の如く定番の病態として隆々(ゴリゴリ様)とした姿形を呈してました。いつ破裂して吐血しても不思議ではない体調といえました。肝性脳症による譫妄状態の顕れが、殿様稼業の演出劇なんだと解釈せねばならなかったのでしょう。肝不全の下では血中のアンモニアが上昇し、それ故の朦朧状態や異常興奮状態か発現します。アンモニアを溜めない為には、便秘せぬように排便を維持する必要がある中で、むしろ軟便・下痢ぎみに保つことが肝要と教わって、治療行為として実践する中で、便失禁は日所茶飯事の殿の恥曝し現象となり、恨(怨)まれ続ける顛末となりました。   

 

 

 肝不全の病状がさらに顕在化して、意識障害が頻繁になり、朦朧状態に陥った挙げ句の果て、路上で倒れていたところを通行人に発見され、救急搬送で入院となった際に、哀しむべき衝撃の事態が発生しました。入院治療による肝庇療法を施す輸液や排便コントロールを行った結果、血中のアンモニア濃度も軽減し、比較的平穏な日常を取り戻すことができていましたが、原疾患である精神分裂病が芽を吹き返したのか、愉しい幻覚・妄想現象を来すエピソードに浸れるような和やかかつ穏やかな日々を過ごせていた矢先のこと、麗しい天女様がお迎えに来る幻覚・妄想の果てに、天女様の流れるような羽衣の裾に頸を絡める幻覚を見たかの如く、ベッドのシーツに首を巻いて、階段の手摺りに引っ掛ける形の手段に身を委ねて、「HANGING(首吊り」を図ったのでした。発見が早かったおかげで、救命処置により、いったんはその場での生命だけは取り留めることができ、レスピレーター(人工呼吸器)での管理下、暫くは生命を繋げて、昏睡状態のまま延命を計りながら、小康状態を保てていました。一ヶ月余りの低空飛行の後、肝予備能の低さが災い(祥い)してか、美しい天女様に導かれて昇天に至ったのでした。愛しい天女様の裾に縋り付く幻覚・妄想の夢見の中で、愛でたくお迎えに就いて昇天するに至り、自ら大往生を成就する顛末を辿れたのです。『佳く生き~倖せに逝く』という不思議な潔い人生を活き切った奇怪な殿様の心に残る心遺りな初めての精神医療体験となりました。剽軽者の対馬の殿様を綴った行状記でした。