社会福祉法人 尽誠会

《ドクトル孤狸坊喰道楽(1)》

=御当地拉麺激戦区=

 日の本の古今東西至る所で食リポ流行の昨今、もはや当たり前の日本食と化した感のある「拉麺」ではありますが、日本人で初めて食したのが、お馴染みの畏れ多くも先(江戸初期)の副将軍水戸の御老公様「水戸黄門(水戸光圀公)」であらせられると伝え聞いてはいます。江戸時代の味加減が如何なるものであったかは推し測り知れませんが、自分自身の拉麺初体験といえば、高校時代の通学路にあった町中華での寄り道グルメだったなと記憶しています。

 南国育ちの自分にとっての「拉麺」は、博多ラーメンや久留米ラーメンに代表されるようなストレート棒状麺と濃厚豚骨スープという体裁が、ごく普通の形としてインプットされていました。が、北へ流れるにつれて、醤油や塩・味噌味といったスープに、縮れ麺を漬して食べるラーメンの形が、一般的とされる環境での生活に変わってきました。先入観の中でイメージする拉麺とは異質の食べ物に思えて、「中華そば」と呼ぶのならば、そこそこ旨い食い物なんだと受け容れることでしか、了解できぬ認識の中で、あちこち食べ歩くようになりました。特に札幌味噌ラーメンに関しては造形が深まって、好みの味も芽生えるまでになり、やみつきになって、蘊蓄を語るまでになるうちに、頻繁に通うお店もできました。ラーメン通とはいえぬまでも、食い慣れることで嗜好は変わるものですね。初めはいただけなかった筈の醤油味や味噌味にも、いつの間にか馴染めるようになったのです。むしろ今ては豚骨味の方こそが、何処か異郷のグルメのように感じ始めた有様なのですよ。

 

 

 今や全国津々浦々で御当地ラーメンといわれる名物料理が蔓延り、それぞれに独特の味わいを自慢する御時世に進化してきました。

 大都会では全国の人気拉麺店が一堂に会した激戦区の拉麺街なるスポットも流行ってきていますが、ハーフサイズで提供して、いろいろ食べてもらおうとの試みも極く一般的ですよね。激戦区を運営するに相応しい商魂といえるでしょう。

 黄門様の食した当時のラーメンとは、かなり様変わりした筈の形の料理だと推定されますが、今の北関東又は南東北地方の御当地ラーメンに似た味わいだったのかなと、さしづめ喜多方拉麺あたりを想定しつつ、至極怪しげに勘ぐるしかありません。自分の拉麺放浪記ともいえそうな日本列島縦断逍遥のグルメ漫遊記をしたためていると、各地の風土記擬きにオーバーラップしてしまうのは、取りも直さずグルメ志向のメタボの素と成り果ててしまいそうな不健康な喰い道楽の実態と化して、寿命を縮める短命の実践に他ならぬ自覚に辿り着きそうです。

 この他にも様々なジャンルの喰い道楽グルメ談義が登場しますが、拉麺放浪記程に身体の毒と化す分野ではないのかなと、はたと自らを戒めながらの呟きと成らざるを得ない落とし穴に嵌まり込んで、ジタバタ抗いながらも、美食三昧に身を沈めつつ、早めの成仏を覚悟の上での娑婆暮らしに勤しみたいと、煩悩の限りを重ねているところです。